ニャン家族が増えました!眷属4ニャンと暮らすねこまた女の徒然です。
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2016年06月21日 (火) | 編集 |
【ソロモンの偽証】を読了しました

文庫本で6冊
文庫発刊当時に購入していたにも関わらず、
2年近く放置し、ようやく読了しました。
読了した今の気持ちは、
何故もっと早く読まなかったのだろう
なのですが、この気持ちの最後につくのはなのか、
それともなのかは、私の中で判然とはしておりません。

第Ⅲ部の法廷で、私は何度も目頭が熱くなりました。
この法廷での証言は、一般の法廷での証言とは違っているように思いました。
もちろん事件の事実関係についてのやり取りもありますが、
むしろ証言を通じて、それぞれが自分の本当の気持ちを語る場だった気がします。
偽証・・・・この本で言っている嘘って、一体どういうものなんだろう
中学生だって大人だって同じ、自分が生きていくために、
知らず知らずに嘘をついています。
そうしなければ・・・・自分が生きていけないから
人って他人に対してというより、
自分に対して偽ることの方が多いのではないでしょうか

無気力で目立たない人間を装ったり、
深い心の傷と向き合わずに明るく過ごしていたり、
他人への嫌悪感を隠していたり、
他人への嫉妬心を隠していたり・・・・とにかくいろいろです。
でも、それって当たり前のことで、罪とまでは云えないと思います。
問題はその心の奥底に秘めていた気持ちが、
しばしば暴走を始めてしまうことです。

私はこの法廷での証言を見ていて、
まるでカウンセリングのようだと思いました。
自分の本当の気持ち(しかも他人には知られたくない)を、
他人に話すことは非常な苦痛を伴います。
カウンセリングもこの法廷での証言同様、
決してお手軽な癒しではない のです。
でも、自分の本当の気持ちを言語化し、
第三者にきちんと受け止めてもらうことによって、
人は自分を取り戻すことが出来る(自律的に生きられるようになる)と思うのです。
(ネットでいろいろ検索したら、やはり裁判というよりカウンセリング
と書いておられる方がたくさんいらっしゃいました)

少し面白いなぁ~と思ったのは、
この法廷で被告人となっている大出俊次少年、
彼だけは一貫して嘘を付いていないのです。
但し、彼は父親に暴力で支配されている少年なので、
逆に外では自分が父親のように暴力的になっています。
そして、被害者と目されている柏木卓也少年、
彼も一貫して嘘を付いていないのかと思ったのですが、
最後の最後で考えが変わりました。
彼は欺瞞に満ちた世界に生きていても仕方がない、
だから自ら死ぬことを選んだ・・・・ということなのかと思っていたのですが、
それはあくまでもポーズ(彼の強がり)だったのだと、
読了した今は思っています。
むしろ犠牲者と云われた彼が一番偽っていたと感じています。
そして彼の偽りが、たくさんの人を深く傷つけたのです。
彼は小さな仙人だとしばしば作中で表現されていましたが、
むしろ仙人の名に相応しいのは別の人物だと思いました。

小説を読んだ方、あるいは映画をご覧になった方にしか分からないので、
ちょっと申し訳ないのですが、私のお気に入りキャラを書いておきます。

◆野田健一少年(弁護人助手)
 裁判を通じて一番成長したのは彼なのかも。
 無気力を装っていた彼が、本来の自分を取り戻す話としても面白い。
◆竹田和利少年(陪審員長)
 高身長のバスケ部のエース。
 非常に温かい心の持ち主で人望がある。
 一時バスケ部に籍を置いていた橋田祐太郎少年の証言を聞き、
 彼が思わず云った一言が心に響いた。
◆山崎晋吾少年(廷吏)
 中学生ながら、既に心構えは武道家。空手の有段者。
 無口だがきちんと人の心の動きを観ている。
 礼儀正しく頼もしい。そして、人に対する労りの心を持つ。
 小説には彼の独白部分があり、非常に秀逸な章だった。
 映画ではこの役を私の知人の息子さんが演じられたことを、
 つい最近知りました

柏木卓也少年は、普通である勇気がなかった気がしています。
特別でなければならないという妄執に囚われていたのかな
柏木卓也の兄 宏之が最後の方で、卓也という呪縛から解き放たれる場面があります。
そこで彼が自分は特別でなくていいと、述べているのが象徴的ですね。

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